日本学術会議 緊急講演会「放射線を正しく恐れる」 〜放射線リテラシーを高める
2011年7月1日(金)、日本学術会議主催の緊急講演会「放射線を正しく恐れる」が開催された。放射能に関する情報が大量に発信されている中、国民の放射線リテラシーを高めてもらいたいという意図で開催された。会場には4人のパネリストだけでなく各界の専門家や一般市民まで、幅広い層の多くの人が集まった。

放射線の発がん作用についてのいくつかの考え方
甲斐 倫明 大分県立看護科学大学人間学科講座教授

100mSv以下ではベースラインと差がない

国際放射線防護委員会(以下ICRP)は、「しきい値」なしの直線仮説をもとに「確率的影響」のリスクを少しでも回避するための提言を行い、政府も国民の健康を守るために、この勧告に従って様々な方策をとっている。

ICRPが直線仮説を採択するのにはいくつかの根拠と理由があるが、その中には原爆で被ばくした広島と長崎の生存者データもある。他にも、疫学の世界では放射線量と健康被害の関係は直線性を示しているものがほとんどだが「〜100mSv」以下ではベースラインと差がないことも明らかとなっており「直線性を示す・示さない」の論議は、低線量になると難しいといえる、と甲斐氏は解説。

つまり、原爆被ばく者のデータだけでなく、医療データや動物実験、疫学調査でもある程度直線性を示していることに間違いはないが、一方で100〜200mSv以下の低線量については、判断が難しいというのが世界的な共通認識となりつつあるという。

放射線被ばくの影響だけを抽出してがんと関連付けることは非常に難しい

仮に低線量の放射線が原因で発がんが発生したとしても、被ばくからがんの発生までには相当の時間がかかる。さらに被ばくとは関係なく、一般的に年齢が60歳を超えれば、誰でも発がんのリスクは急激に増する。がんそのものの発生のメカニズムが非常に複雑であるだけでなく、この時間因子との関わりもあるため、放射線被ばくの影響だけを抽出してがんと関連付けることは非常に難しいと解説。

子どもが低線量の放射線で被ばくすることの危険性についても、10歳で被ばくしても30歳で被ばくしても、60歳以上でがんが発症するリスクはあまり変わらないということもわかっているという。

いずれにせよ低線量での影響を知るためのデータを取ることは不可能で、低線量被ばくが人体へ与える影響については今後も推論でしか語れない、ということを認識してほしいという。放射線物質が人体へ与える影響については、この「しきい値型」と「直線型」が大きく取り上げられているが、ほかにも「上に凸型」と「ホルミシス型」の計4つがあるということも解説。

国際的には直線型で理解されている

国際的には直線型で理解されているが、理由の一つに、放射性物質がDNAの接続を切断する作用(二重差切断)にあるという。切断されても、ほとんどが修復されるが、複雑なDNA損傷が起こった場合、修復は困難で、遺伝子や染色体の変異はがん化と関連があるため、その危険性が指摘されている。

大量の被ばくがDNA損傷と関わるとされているが、一度に50mSVという比較的低い線量でも染色体異常がおこっているデータが存在していることも報告されているため、直線性もある程度消去できない可能性があると説明。

しかしその一方で、長期的に低線量を浴びた場合には修復機能がより高く働いているというデータもあるという。さらに、もともと乳がんや肺がんの遺伝子を遺伝的に持っている人は、放射線に対する感度が高いことを示すデータもあり、そういう人の場合は「上に凸型」の影響を受けているという学術もあると解説する。

また、いわゆるホルミシスで知られているように、少ない線量を当ててから高い線量を当てると長生きするラットのデータも解説した。ICRPにはこのように異なる様々な意見を持つ科学者が論文を寄せているが、それら全てを取りまとめた上で直線仮説を採用している。

医療現場での放射線治療でも、良い影響と悪い影響が出ることが明らかで、放射線が人体に与える影響については単純な足し算では語れないと甲斐氏。いずれにせよ、しきい値モデルが正しいとしてもこの不確かさの下では、リスクを想定する必要があるというのが国際的なコンセンサスとなっている、とまとめた。

少量(低線量)の放射線は身体(健康)に良いというのは本当か?
岡山大学大学院保健学研究科放射線健康支援科学領域 教授 山岡聖典

ラドン温泉、古くから老若男女が健康増進に利用

広島・長崎、あるいはチェルノブイリのように、高線量で被ばくした場合の健康リスクは誰もが認めるもので、放射線は目に見えず、色や臭いなどもないことから、世界中の人々が恐れている。しかし一方で、ラドン温泉(自然放射線)は不老長寿の温泉といわれ、古今東西で多くの老若男女が治療や健康増進に利用している。

岡山大学の放射線健康支援学では、低線量、それも国連科学委員会が定める200mGy未満の健康効果について研究を進めており、低線量放射線は生体の適応応答能力の亢進作用があると理解し、その解明や科学的研究を進めている。

この作用は、例えば運動や温熱、あるいは薬理学的にはワクチンなど、人体にとって適度な刺激であれば、有益な効果を生じるのと同じことであるとすれば理解しやすい。これは食塩やお酒も同様で、少量であれば必要、と山岡氏は解説。

具体的な研究結果としては、動物実験だが、ラットの生活習慣病の緩和や糖尿病の抑制効果、老化予防の可能性を確認しつつあるという。

しかしながら、分子・細胞・組織・個体の各レベル、性別・年齢・人種・個体差などに伴う放射線感受性の違いや、喫煙・飲酒・運動などの生活習慣により、被ばく線量が同じ場合でも、それぞれのリスクの度合いが異なることがある。

これを一般化しリスク管理をするのが放射線防護で、個別化して個々に応じ、低線量放射線による合理性の高い医療などへの活用を模索するのが放射線健康科学であると説明。

岡山大学では、低線量放射線が健康維持を目的とした適度な運動などと類似した少量酸化ストレスであることを解明しつつあるという。従って、低線量の放射線は健康に良いとする可能性について科学的に実証されつつあると山岡氏。

しかし、機構解明と副作用評価を含めた納得のできる説明や安心の実現にはまだ努力と時間が要されるという。ちなみに、一般的にホルミシス作用といわれているが、俗語であり、学術的には放射線適応応答という、と山岡氏はまとめた。

国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告の意味
(社)日本アイソトープ協会常務理事 佐々木康人

放射線の有効性は認めつつ、リスクは低減すべき

佐々木氏は自らが国際放射線防護委員会(ICRP)に勤めていた関係から、ICRPの勧告の意味について説明した。放射線が医療現場に用いられるようになった1896年以降、非常に有効的に幅広く利用されてきた。

しかし、医療の枠組みを越え、加速器、原子炉、核兵器、核兵器実験によるフォールアウト、広島・長崎への原爆投下での被爆者の後遺症の増加など、原子力の応用と時代の変化にともない、職業人(医療従事者)の被ばく管理をするだけであったIXRPCが、一般人の被ばく管理をするようになり、ICRPという組織に変わったという歴史がある。

ICRPの勧告目的は「放射線被ばくの可能性のある人の活動を過度に制限することなく、放射線の有害な影響から人と環境を適切に防護することに貢献する」ことが前提。 放射線の有効性は認めつつ、リスクは低減すべきという視点から状況に応じ最適化をはかるという立場をとっている、と解説。

放射線防護の働きかけにも3つのレベル

ICRPの放射線防護の働きかけにも3つのレベルがあるという。平常時、非常時、非常事態からの復旧時の3つで、状況に応じ、現実的に最適化を図るため、勧告内容も状況に応じて変化する。平常時は医療現場などの職業被ばく者に対し、身体的障害を起こさず、がんのリスクをできるだけ低く抑えるように放射線業務従事者と公衆の被ばくを管理する。

非常時の勧告は、重篤な放射線障害を回避するよう、初期対応に従事する作業者と公衆の被ばくを管理するというもの。非常事態からの復旧時は、身体的障害は起こさず、がんのリスクは平常時より増加した状態で管理することもやむを得ないという立場で勧告を発令している、と解説。

リスクとベネフィットの立場から最適化を図る

平常時における線量限度については、公衆(年間1ミリシーベルト)と職業被ばく者(5年間に100ミリシーベルト、特定の1年に50ミリシーベルト)で、線量限度の数値が異なっているのは、放射線の利益を認めた上でのことで、患者の医療被ばくにはこの線量限度が適用されていない(放射線治療など)。

状況に応じた数値の最適化を図るため、ICRPがベースにしているのは「便益を最大にすること」「経済的、社会的要因を考慮した上で合理的に達成できるできるだけ、被ばく線量を低減すること」「被ばくの線量とリスク低減に最善を尽くすこと」などで、これを根底しているという。

今回の事態のように平常時でない時に、公衆の被ばくをあくまで年間1mSvという数字にこだわりすぎると、住民のストレス、移住の問題によるストレスなどが、1mSvが与える可能性的被ばく被害を上回る可能性がある。そこはリスクとベネフィットの立場から最適化を図ることが重要であるというのがICRPの考え方であると佐々木氏。

日本政府は厳しい数値を採択

こうした最適化を行うと、数値に変動が起こり、一般の国民は「いったい何mSv以下が安心なの?」「数値がころころ変わるのはなぜ?」という疑問を抱くことになるのであるが、そもそもこの数値が「ここからが絶対安全である」と安全性を担保しているものではない。

ICRPは緊急時には20〜100mSv/年という幅のなかでリスクとベネフィットを見極めて数値を決めてよい、という立場をとっている。日本政府は現在その提言を参考にあくまで20mSv/年というもっとも厳しい数値を採択したが、そこに十分な議論と国民へ対する配慮があったとはいえないのではないか、と指摘した。

またこの数値についてはあくまで妊婦や胎児、子供への影響も考慮されている数字であり、その上で、妊婦や胎児、子供には十分気をつけようという姿勢を示しているも のであると解説。

ICRPの考えによれば、健康を守るために被ばく線量はできるかぎり低いほうがよいというのは当然だが、被ばく線量の限度を低く設定しそのことにより他のデメリットが生じる可能性にも配慮し、最適な防護が得られるようにすべき、ということである。

今回のような緊急時には単に線量を最低にするだけでなく、様々な要因を考慮してできる限り被ばく線量を低く保つ努力をすることが大切であるとまとめた。


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