食とヘルスサイエンス
〜第1回慶応義塾大学 ヘルスサイエンスシンポジウム 「慶応義塾大学SFC研究所ヘルスサイエンス・ラボ発足記念講演」

2012年4月27日(金)、慶応義塾大学三田キャンパスで、「慶応義塾大学SFC研究所ヘルスサイエンス・ラボ発足記念講演 第1回慶応義塾大学 ヘルスサイエンスシンポジウム」が開催された。

食とヘルスサイエンス
慶応義塾大学環境情報学部准教授 ヘルスサイエンス・ラボ代表 神成 淳司 

最新のIT手法を駆使して分析・解析

ヘルスサイエンス・ラボは慶応義塾大学SFCキャンパスに2011年10月に誕生した研究室である。ここでは健康維持と増進、病気予防といった「ヘルスサイエンス」=「健康科学」をテーマにさまざまな研究を行っている。現在世の中に溢れる健康情報は玉石混合で、専門家でさえさまざまな情報に振り回されている状況である。

ヘルスサイエンス・ラボでは世界中で発信される健康情報の信頼度(エビデンス)を最新のIT手法を駆使して分析・解析し、解説することを重要な使命と考えている。 「正しい健康情報の周知」と「健康で幸せに長生きする」という万人の願いに貢献すべく、「健康科学」を日本の未来を創造する学問に発展させることを目標としている。

「健康増進を目的」とした「食」へと高めることを目標

神成氏は「食とヘルスサイエンス」と題した講演で、今後の取り組みについて次のように語った。
日本は世界一の長寿国だが、それを支えているのは日本の食文化に他ならない。2010年の日本人の平均寿命は女性が86.39歳、男性は79.64歳で、女性は26年連続で世界第1位。男性も第4位についている。しかしこの長寿は日本人の遺伝子によるものではない。

日本人でも諸外国で長期間生活をしている場合、その寿命は決して長いわけではないからである。つまり人間とは住む場所と食べるものによって寿命が左右される動物であると神成氏。そこで神成氏は長寿を支える日本食に注目し、特に優れた日本食文化とそれを構成する農作物に科学的にアプローチしていくことで、食を健康増進を目的とした「新たな食」へと高めることを目標としている。

現在、神成氏が行っているのが「新たな食のマネージメントモデルの作成」である。これは食をこれまでの「売り切り型モデル」から「時系列モデル」で捉え、全体の流れのなかで適宜マネージメントしていく手法のこと。

農作物の「旬」を大切にしなくなった

現在はある農作物ができると、納品される直前でその糖度や栄養素、安全性が測られ、その価値に応じて販売されている(収穫後の事後的評価)。しかし日本の農産物は世界的に見ても非常にレベルが高く、この手法は非常にもったいないと神成氏。日本の熟練農家の技術と経験・知見は世界最高峰であるという。

この50年間で日本の農業は生産性については向上したといえるが、その一方で個々の生産物の栄養素は平均的には大きく減少したといわれている。このことは、土の栄養価の低下も指摘されているが、最大の要因は技術革新が進み過ぎて、農作物の「旬」を大切にしなくなったためと神成氏。

特定栄養素の高含有作物の栽培が実現

しかし一部の熟練農家では、作物本来の活力を引き出す方法を独自に開発し、特定の栄養素が高含有された作物を栽培することが実現している。熟練農家とサイエンス・ラボでタッグを組み、その経験や知見、技術を科学の力でデータベース化し、生産者全体で広く共有することで、日本の農業全体のレベルが底上げされ、どんな農家でも高額な設備投資に依存せず、高品質の農産物を高い生産性で作ることが実現する、と神成氏はいう。

現在実験的に進められているのが、高品質の(栄養価が高く、見た目も良い)ほうれん草やいちごに小さなチップをとりつけ、種の段階から収穫まであらゆる角度から測定しつづけるという手法である。

この測定は具体的には温度や湿度などの環境、肥料や水を与える最適なタイミング、収穫の最適なタイミングなど、さまざまな角度から測定が行われ、そこに熟練農家の技術と知見も反映されていく。

高機能・高付加価値農作物を日本で生産

それらの結果を蓄積し、データベースを作成することで、高品質の農産物を作るにはどのように育成すべきか、熟練農家でなくてもこのチップから測定されたデータを共有することで、多くの生産者がそれぞれのニーズや環境に応じて高品質の農作物を作ることができるようになるという。品種や種ごとにチップをとりつければ、同じ日に蒔いた種でもデータベースがその種ごとに最適な収穫時期をアナウンスするということも可能であるという。

これが広く普及すれば、多くの生産者が高い品質で農作物を作ることができるようになる。そして将来的には、高齢化だけでなく人口増大が急速に進む世界のニーズに適合した高機能・高付加価値農作物を日本で柔軟に生産する基盤を整えることが可能となり、諸外国に対する日本の農業の差別化と競争力の育成にもつながると神成氏。

さらにこの科学的計測技術が個別具体的に実現すれば、調理やレシピにも応用できるという。収穫した作物はどのように調理して食べるのが一番効果的に栄養吸収できるのか。食物を洗う時の温度、調味料や他の食材との組み合わせとの相乗効果、調理方法(茹でる、蒸す、炒めるなど)など、単なる食品としてではなく、「健康増進食」としてデータを蓄積し、広く共有することができれば、伝統的な日本食が科学的にも有益であることが証明できると神成氏。

栄養を損なわない調理法や健康レシピの開発

「新たな食のマネージメントモデル」では、生産・栄養学・流通・小売り・消費者のそれぞれに科学的にアプローチし、データベースを作成することが求められ、最終的にそれらを一元化することが重要となる。

生産の段階では、高い栄養素を持つ農作物の生育メカニズムを熟練農家との提携により解明し、それをデータベース化して農業全体に浸透させることが求められる。大学や専門家による栄養学分野には調理や人体の代謝の研究を進展させ、高栄養素・高品質の農作物の栄養を損なわない調理法や健康レシピの開発、データベース化を進めることが求められる。

流通には残留農薬などの個別計測技術の革新を進めることや、価値減損を抑えた新しい流通技術を実現させることで、高付加価値農作物の国外販路の拡大を進めることが求められる。

日本人の平均寿命が120歳も夢ではない

小売りでは単純な売切り型から、消費者の個別データに基づく提案型の販売、食サービスの実現が求められる。消費の場では消費者の健康状態とその変化を継続的にモニタリングすることで個人差を踏まえた適切な栄養摂取マネージメントを支援することが求められる。

このように、ヘルスサイエンスが最終的に生産の現場だけでなく、流通、小売り、消費者の全てにアプローチし連携することで「誰もが健康で長生き」という社会の実現が初めて可能となり、日本人の平均寿命が120歳まで伸びることも夢ではないと神成氏。

将来的には「種まきから食べるまで」を、全て一元管理できるシステム作りを行い、そのシステムを社会に応用させていくことで、日本人の健康長寿だけでなく、新たな産業の拡大につなげていきたいと展望を述べた。


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