「食べる」ということは必ずリスクが伴う
人はなぜ食べるのか。食べなければ「食品の安全」を考える必要も、リスクとつき合う必要もない。「食べる」ことは「異物を取り入れる」ことであり、それには必ずリスクが伴う。
そもそも人間は、生物学的には「従属栄養生物」に分類される。他の生物を食べなければ生きてはいけない生物というカテゴリーだ。一方、植物や光合成ができる細菌類は「独立栄養生物」といわれ、太陽光を摂取し、それをエネルギーに変換することができる。
私たち人間は太陽光で体内に必要なエネルギーを作れないため、他の生物から有機物を摂取しなければ生きていけない。そのため人は食べなければ存続できないが、食べると、何らかのリスクがつきまとう。だが、当然それは避けられないことと村田氏はいう。
「食品」の4つの要素
我々が摂取する「食品」には4つの要素がある。「栄養」、「嗜好性」、「生体調節機能」、そして「安全性」である。「食品」は採取・加工される場所さえ安全であればよいということではない。「農場から食卓まで」という長い工程のあらゆる段階においてできる限り安全でなければならないと村田氏は指摘する。
食べ物が十分に足りている地域は世界的にみても多くはない。日本でもわずか50年前までは食料が十分とはいえなかった。農薬や化学肥料も100年前にはほとんどなく、常に害虫や天候による凶作、飢餓との戦いが長く続いていた。人類の歴史は飢餓との戦いとも言い換えられる。
植物は多種多様な化学物質を備え動物に対抗
しかし、今の日本で深刻な冷害や不作が起こったとしても、餓死者がでることはまず考えられない。それは伝統的知恵だけでなく、肥料、農薬、食品添加物、遺伝子組み替えなどの科学技術やあらゆる手段によって食糧供給の維持継続と安全が支えられているからである。
しかしこれだけ多くの技術や物質が「食品」に関与すれば、それだけリスクは増える。それぞれの技術や物質、工程における安全性の確認が常に求められる。
「大豆は良い食品か?」と聞かれれば、ほとんどの人がイエスと答えるであろう。しかし大豆を生で食べると健康被害が生じることはあまり知られていない。本来、植物は動物に食べられるために生きているわけではない。植物は多種多様な化学物質を有し、動物に対抗する機能を備えている。
食品の安全に絶対はない
つまり加工しなければ健康被害をおこす野菜や植物も多いということである。大豆にもトリプシンインヒビター(消化不良をおこす)やレクチン(赤血球凝集)といった人体に悪影響を及ぼす化学物質が含まれるが、幸いなことにこれらは過熱すれば消滅する。
しかし大豆からできる豆腐についてはどうであろう。大豆は腐りにくい食品だが、豆腐になった途端、腐りやすくなるというリスクを負う。大豆は過熱しなければ安全でない一方で、加工された豆腐になるとその分リスクが高まる。
・
・