グローバル化における食の安全と科学
〜第7回フードチェーン・ブランドセミナー

2013年8月7日(水)、東京コンファレンスセンターで、「2013年フードチェーン・ブランドセミナー」が開催された。食のグローバル化が進む中、今後の日本の農業や畜産のあり方を改めて議論してほしいと、3人の専門家が講演を行った。ここでは吉川泰弘教授(千葉科学大学 副学長 危機管理学部)による「グローバル化における食の安全と科学の役割」を取り上げる。


食肉増産のシナリオが早急に必要

21世紀の人類が抱える共通の問題として、環境保全、途上国を中心とした人口の爆発的な増加、そして飢餓と貧困、感染症の統御、食糧の安定供給が挙げられる。

現在のペースで人口が増加すれば、2025年の世界の総人口は80億人を突破すると予測されるが、それは同時に家畜革命の必要性を意味する。

2008年、この年は世界で210億頭の家畜が飼育、60億人の人口を養った。2020年には、途上国で必要な動物性たんぱく質は現在の1.5倍となる。

食肉増産のシナリオが早急に必要だが、目途は立っていない。かろうじて考案されている施策としては、飼料効率の良い家畜への移行(一般的に好まれる牛→豚→鶏から鶏→豚→牛への移行)、飼育環境の改善による生産性向上、感染症の統御などがあるという。

とくに家畜の感染症を統御で生産量は2〜3割増になると推測されている。しかし、感染症の統御や撲滅はもはや一国の問題ではない。グローバル化が進む中、世界は相互依存を強めているため、一国のミス(感染症の発生)は世界の食糧危機になり得ることを肝に銘じなければならないという。

ちなみに、2011年は、養殖魚の生産量が牛肉生産量を突破し、2013年はおそらく、補食魚よりも養殖魚を多く食べる最初の年になるという。

食糧不足への危機感が薄い

21世紀の課題を解決するためには「世界は一つ、健康は一つ」という考えを基本にすることが重要である。どこか一つの地域が汚染されれば世界が汚染され、自然の健康が動物の健康や人間の健康につながる。

これらの問題解決には専門分野を超え、総合的そして国際的にアプローチしていくことが必須である。この考え方のもとにFAO(世界農業食糧機関)、OIE(世界動物保健機関)、WHO(世界保健機構)、WB(世界銀行)、UNICEF(ユニセフ)などで協力体制をとっている。

今や食には3つの要素が求められている。「食の安定供給」「食の安全」「食の防衛」である。しかし日本の食の現状はこの最初の段階で揺らいでいる。食糧自給率は40%以下で、今後も低下が予測される。

人口の減少、地方都市の過疎化、第一次産品の生産量の大幅な減少は深刻で、日本のメディアや消費者は食の第2段階の「食の安全」ばかり議論をしており、そもそも「食べ物がなくなる」ことへの危機感が薄い。

食品にゼロリスクを求める消費者

第2段階の「食の安全」には問題が山積している。消費者の安全性と科学的評価の間には大きな落差があり「ゼロリスクは有り得ない」ことについて消費者からは中々理解が得られない。

BSE問題や偽装表示など、食中毒や食品汚染の問題が生じると、日本では安全神話がすぐに崩壊し、行政、生産者、流通、そして科学者にまで不信が及ぶ。さらにメディアが不安を煽り、過剰対応のパフォーマンスが求められ、根本的な解決を見ないまま騒ぎが収束してしまう。

こうした諸問題を解決するために食品安全委員会や消費者庁が設置されたが、これもうまく機能しているとは言いがたいという。

第3段階の「食の防衛」については、そもそも性善説で物事を考える日本人にとっては最も苦手な分野であり、実際、残留農薬や集団食中毒などについては迅速に対応するが、確信犯的な偽装表示や不当表示については法律も十分に整備されていない。

現在の日本は、平常時でさえリスク回避の抑止力がなく、中国毒入り冷凍ギョウザ、メラミン入り粉ミルク、事故米などの確信犯的事件など大騒ぎとなったが、有事の場合の管理・対応能力も全く不十分という。

日本は「リスク評価」には傾注

こうした状況の中、日本は「リスク評価」には力を注いでいる。これは「食品の安全性が科学的にどのように保証されるのか」という考え方であり、自然科学と社会科学が融合した新しい学問といえる。

「リスク評価」では人に危害を与える因子を科学的に特定し、その危険因子がどのくらいの確率で有害作用を起こすかを分析する。また、疫学調査や動物実験のデータを用いながら、安全性をあくまで科学的に評価することが求められ、そこには自然科学の手法が使われている。

そもそも自然科学では「客観性」を非常に重視し、哲学や倫理、政治的意図は全て排除して対象を判断する。さらに仮説→実験→結果→考察→新たな仮説と突き詰め、再現性を重視し、普遍性を追求することで真理へ達することを目的としている。

日本のリスク分析は極めて特殊

しかし「リスク評価」では、客観性が弱く、またその管理措置はその後の事態を変更させ再現性が乏しく、そこから発生するデータで真理に到達することは難しい。

FDAやOIEなど欧米諸国では「リスク評価機関」は独立して存在し、あくまで科学的・中立的な立場で評価を行い、それを行政(リスク管理者)と共有する。そして行政はトップダウン的に消費者も含む全ての利害関係者に説明責任を果たし、リスクコミュニケーションを行う。

しかし日本のリスク分析は極めて特殊で、「リスク評価」を独立して食品安全委員会が行うところまでは欧米諸国と共通しているが、その後の管理をする場所が不明確で、行政は責任を回避してリスク評価だけでなくリスク管理までを食品安全委員会に委ねようとする現状があるという。

しかも食品安全委員会からの評価の説明だけを行政が行うため、その説明を受けて消費者から上がってきた意見を吸い上げる場はどこにもない。さらにこのシステムのなかで消費者庁の果たす役割もいまだ不明瞭である。グローバル化が進む中、リスク評価とリスク管理の関係を明確にするなど、急がなければならないとした。


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