2025年11月6日(木)、日本バイオ技術教育学会オンラインセミナーが開催された。今回は「ゲノム編集食品最前線パート2」として、広島大学の堀内浩幸氏より「低アレルゲン卵」に関する詳細な研究成果と、社会実装に向けた現状について報告が行われた。
広島大学大学院総合生命科学研究所 堀内浩幸
現在、地球規模での環境変化(温暖化、海水温の上昇)や世界人口の増加問題が急激なスピードで深刻化しており、食料生産の安定性を脅かしていることは周知の通りだ、と堀内氏。人類が持続的かつ安定的な食料生産を確保するためには、新しいテクノロジーの導入が不可欠であるが、そこで注目されているのがゲノム編集だ。たとえば私たちの食生活に欠かせない食材「卵」でも、近年鳥インフルエンザの発生が頻発し価格の高騰を引き起こすなど、経済的な課題も起こっている。また、世界各国で動物福祉(アニマルウェルフェア)の機運が高まり、既存の食料生産システムの見直しと技術革新が求められている状況にもある。生物の細胞核に存在する遺伝情報、すなわちゲノムは、活性酸素や紫外線などの影響で日常的に損傷を受けるが、細胞にはそれを修復する機能がある。この修復過程でのミスが「変異」であり、ゲノム編集技術は、この変異を意図的に、かつピンポイントで導入することを可能にした技術である、と堀内氏は解説。さらに現在のゲノム編集は、外来遺伝子を導入する遺伝子組み換えとは明確に異なり、狙った遺伝子を改変する点に大きな技術的優位性もあると説明。従来の品種改良が長期にわたるのに対し、ゲノム編集では短期間での開発が可能である点が特に注目されているのだ。
ところで日本の食物アレルギーの主要原因は、なんと鶏卵が約3分の1を占めており、その対策が急務とされている。卵アレルギーは、IgE抗体が関与する1型アレルギー反応であり、重篤な場合はアナフィラキシーショックを引き起こす危険性もある。堀内氏らの研究は、卵アレルギーを引き起こすタンパク質の中でも、特に「オボムコイド」に焦点を当てている。オボムコイドは、熱や酵素に対して非常に強い安定性を有している。このため、通常の卵は加熱しても他のアレルゲンが変性する一方で、オボムコイドは残存し、アレルギー反応を引き起こし続ける。研究チームはこのオボムコイドを卵から除去できれば、加熱加工によって安全に利用できる卵を提供できると考えた、と説明。また、インフルエンザワクチンにオボムコイドが混入する問題がある。そのため重度の卵アレルギー患者がワクチン接種を受けられないケースがあるが、本技術が成功すれば、この問題の解決にも貢献するだろう。
そこで研究チームは、ゲノム編集技術を用いてオボムコイド遺伝子を欠損させた鶏を開発。この遺伝子改変は、生殖細胞に対して行われたため、改変された遺伝子は次世代に安定して受け継がれる。この鶏から開発された低アレルゲン卵は、通常の卵と見た目や加工適性(凝固性、起泡性、乳化性など)に大きな差がないことが、共同研究先の企業との評価で確認されている。そして最も重要なアレルゲン性の評価については、次のような結果が得られた。
まず、ラボ試験では、卵アレルギー患者の血清(IgE抗体)を用いた反応試験において、通常の卵では強い反応が見られたが、オボムコイド欠損卵ではアレルギー反応が全く検出されないことが確認された。そして臨床研究では、 国立病院機構 相模原病院と連携し、重症な卵アレルギー患者を対象とした臨床研究(経口負荷試験など)を実施中であると言う。現在までに30症例以上で試験が実施されているが、一例もアレルギー反応が出ていないという。
堀内氏らはオボムコイド欠損卵を、生卵ではなく加熱加工を前提とした「アレルゲンフリーの加工食材」として提供する方針で考えているという。そのために、現在研究チームは農林水産省や消費者庁に対し、販売に向けた事前相談を行っている段階にあるそうだ。事前相談では、外来遺伝子の非混入や、狙った位置以外でのゲノム切断がないこと(オフターゲット効果の不在)を、全ゲノム解析によって厳密に証明する必要があり、現在その審査対応を進めていて、このハードルはなかなか高いと話す。それでも社会実装を成功させるため、広島大学発ベンチャーの「プラチナバイオ」やキユーピー株式会社をはじめとする企業、医療機関、行政機関との連携体制を構築し、今後の展望として単なる「アレルゲンフリー卵」の製品化に留まらず、流通、表示、保証体制の確立に加え、「ゲノム編集」についてネガティブな反応を持つ消費者との丁寧な社会コミュニケーションを構築することが最も重要な課題だ、と説明。 ゲノム編集技術の応用範囲は広く、将来的には牛乳や小麦など、他の食物アレルゲンの低減への応用も期待されている。ただし、オボムコイドがニワトリの生育に必須ではないタンパク質であったという本研究の特殊性を踏まえ、他のアレルゲンへの応用には、新たな技術的な工夫が必要となる、と見解を示した。

