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2013.10.18シャーマニズムと代替医療

江戸川大学社会学部人間社会学科助教授 蛭川 立 氏

昨年、世界保健機構(WHO)は健康管理のうえでスピリチュアル(精神性)について取り上げたが、近年疾病改善において、こうした精神領域との関わりが重要視されるようになっている。北里大学講師 蛭川 立 氏に文化人類学的な観点から、アマゾンにおけるシャーマンの疾病に対する捉え方についてうかがった。

蛭川 立(ひるかわ たつ)

<略歴>
1991年 京都大学農学部農林生物学科卒業後、理学部大学院にすすみ、動物行動学を学ぶ。さらに、博士課程では東京大学大学院(人類学専攻)にて文化進化の研究に従事。現在、江戸川大学社会学部人間社会学科助教授、北里大学非常勤講師(文化人類学)、国士舘大学非常勤講師(文化人類学)、東邦大学非常勤講師(人類学)。

シャーマニズムと代替医療

江戸川大学社会学部人間社会学科
助教授 蛭川 立 氏

— シャーマンの役割についてお聞かせください

霊的な世界との交流の一環として病気を治す

蛭川: アマゾンの先住民社会のような、わりと単純な社会では、いわゆる何でも屋さんです。病気を治したり、悩みを聞いたり、あるいは、なくなったものを探すとかそういった仕事をします。
一言でいうと、霊的な世界との交流を受け持つ職業です。「病気治し」と言ってしまいますと少し狭くなりますが、「霊的な世界との交流の一環として病気を治す」ということです。

アマゾンではシャーマンというのは医者であると同時に政治家でもなければならないわけで、社会のあるべきモデルを出していかなければならないわけですが、そういう社会というのは、死とか霊の世界が非常に身近で、それが我々の社会とは根本的に違うところです。

シャーマンが中心となって活躍するような社会というのは、いわゆる原始的な社会で、そういうところにおける社会生活というのは、我々ような都会に住んでいる人間とは全然違います。一見、物質的な不便さはありますが、のんびりしています。生きていく上で厳しさというのはもちろんありますが、余計なストレスというものはありません。

死んだ人の霊とか精霊みたいなものも、すぐ、この辺に一緒に住んでいてという感覚で、そうなると、あまりこの世で経済的に発展しようという考えは、おきてこないんじゃないですか?多分。それを我々は遅れた社会というふうにしか見ないですが、向こうからすると、なぜ西洋人とか日本人は、狂ったように忙しく働くんだろうという感じゃないですかねえ。

— 現代人の病気のほとんどはストレスが関与しているといわれますが

蛭川: ストレスは随分あります。我々の社会というのは決して健康になるのが目的じゃないですよね。 例えば会社で一生懸命働いて利益をあげて、企業を発展させるとか、或いは、国家を発展させるでもいいんですけど、そのことが目的にあって、、。社会の発展ということを言っていますが、何のために発展しているのか、よくわからないところがありますよね。
いまだに経済成長が大事だって考えられています。それでクオリティオブライフが高まるかどうかについては、まだあまり問題になってないですよね。受験に打ち勝って良い学校に行ってというような価値観があって、そうした無言の圧力というのが未だにあって、かなりストレスになってると思います。

— シャーマンの病気とか死に対する捉え方は

蛭川: 極端に言うと、人間が死ぬということは別に全然悪いことじゃない。こっちの世界からあっちの世界に行くだけ。移動するだけという考え方です。物質の世界しかないと考えると、死というのは完全に敗北で、お終いですよね。ですが、シャーマンの人に言わせれば、死ぬ人は死ぬわけですし、その時に死ぬのはしょうがないって言うことです、多分。ただ、その時に、良い死に方ができるかどうかということが問題になります。スッと、そちらの世界へ移行できるかどうかです。それでいろんな薬草を飲んでは臨死体験みたいなことをして、向こうと行き来できる練習もしています。

シャーマンのメインの仕事というのは、こうした向こうの世界とこっちの世界を行き来するというとです。病気を治すとか相談事にのるというのは副産物です。
向こうの世界に行くといっても、とくに具体的な場所があって行くわけではなくて、自分の心のイメージがつくり出す世界ですから、悪いイメージを持っていると、それが実現してしまうということです。ですから、死ぬ時の心構えが大事なのです。すごい、嫌な苦しい思いをしていると、そのイメージ通りの世界に行ってしまいます。

もちろん、病気を治すための薬を処方する場合もあります。でも一方で、もう死ぬ運命にあることが見えていると、追い返すということもあります。ですから、両方あります。近代的な医学の考えにはあわないかもしれませんが。はたして長生きすることがいいのか、病気にならないことがいいのか、死なないことがいいのかということを、問い返す必要があるという立場ですよね。近代的な社会、近代的な医学の考えとは激しくぶつかりあうところがあるかも知れませんが。

— 病気を治すという観念はないということですか

蛭川: 私達も死ということについてもっと積極的に考えなきゃいけないときがくると思いますね。決して『死ぬのもいいんじゃないの?』なんて意地悪で言ってるわけじゃなくて、あまりにも生き長らえさせることだけしか見てこなかったのは問題で、シャーマンの素朴な考えもあるということを知ることも必要です。もちろん、生きてる間は肉体を使って楽しめばいいし、でも、そろそろ死ぬ時がきたら、覚悟をきめて楽しく死ぬということを考えるのも、広い意味でのクオリティオブライフで、そういうことに対して医者はおよび腰になってはいけないと思います。

アマゾンは植物や動物の種類が桁違いに多く、わけのわからない病原菌も多いですから、危険と一緒に暮らしているということもあって、死ということが身近にありますから、ことさらに死を遠ざけようという考えは特にないです。死も、しょうがないというところがあります。親から子へ、子から孫へというラインがずっとあって、自分というのはそのうちのひとコマに過ぎなくて、一人ひとりの命がかけがえのないものだなんて思ってないわけです。これも近代的な医療の考えに反するんですけれど。一人が死んでもまた生まれてくるからいいみたいな。一人ひとりの人間が独立したものじゃなくて、自然の生態系の中で生まれては死んでいく生命のリズムの中のひとコマに過ぎないという発想でしかないんだと思います。

— アマゾンではハーブを有効に使うと聞きますが

蛭川: アマゾンではキャッツクローとかアヤワスカとかいったハーブが治療に使われていますが、こうしたハーブについても、ある種の治療効果があるということであれば、ちゃんと研究したうえで、日本でも医療現場で積極的に取り入れていけばいいと思います。
アメリカではこうしたハーブが大人気で、普通のスーパーでも世界中ものが売られていて驚きます。最近はリラクゼーション効果のあるカヴァや、ナチュラルな抗鬱薬としてセントジョーンズワートなどがかなり流行っているみたいです。
もっとも、アメリカであれだけ抗鬱薬が流行るというのも問題かと思います。アメリカ社会というのは常に躁状態でなければいけないようなところがあります。いつも元気はつらつで、バリバリ仕事するみたいな。いつも闘って勝ち続けるみたいな、そういう社会です。むしろ、抗鬱薬がどうこうというより抗鬱薬があんなに必要になるような社会の方が病んでるというような気がします。

ところで、アヤワスカみたいなスピリチュアルな健康にかかわるハーブは使い方を間違えると危険ですから、精神科医なり、心理療法家がトレーニングを積んで使い方を指導することが必要です。 若い人のほうがこういうハーブにしても良く知っていたりしますから、こうしたことは早く対処する必要があります。何か事故が起こってから、よくわからないから禁止してしまえということになってしまうと、そこにあった役にたつかも知れないというものが全部消えちゃうわけです。それで欧米でも研究が20年、30年遅れてしまったということがあります。そうなる前に、医療関係者がもっと理解を深めて、一概に禁止しないで、免許制にしようとか、そういうことを真剣に検討した方がいいかと思います。

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