
2025年5月9日、一般社団法人食品機能推進協会が主催するオンラインセミナー「野菜と果物の食物繊維の健康効果」が開催された。ここでは国立岐阜大学応用生物科学部 食成分機能科学研究室 教授 矢部富雄氏の講演を取り上げる。
岐阜大学応用生物科学部 食成分機能科学研究室 教授 矢部 富雄
現在、日本は世界で最も高齢化が進んだ国家となっている。このような状況下で注目すべきは「健康寿命の延伸」だ。特に、サルコペニア、フレイル(虚弱)、認知症、生活習慣病といった加齢に伴う疾患の進行をいかに食い止めるか、国を挙げてさまざまな対策が講じられているが、その中でも「食」の果たす役割は極めて大きい。
現在、信頼性のある統計データに基づく長寿地域として知られているのは、ギリシャ南方の地中海に浮かぶクレタ島と、日本列島である。両地域に共通する特徴の一つは「島」である点と「食文化」だ。クレタ島では地中海食、日本では和食が基本となっており、この2つの食文化では野菜や果物、穀類が多く含まれているのが共通点だ。しかし、日本人においては1967年をピークとして、1人あたりの野菜摂取量は右肩下がりに減少し、直近の2018年のデータでは、ピーク時に比べて約6割程度、90キログラム前後にまで落ち込んでいる。特に日本人の食物繊維の摂取量が少ないことは課題とされている。
食物繊維は植物の「細胞壁」に含まれ、大きく2つに分類される。ひとつはペクチンのように「水に溶ける」水溶性食物繊維。もうひとつは、セルロースやリグニンのように「水に溶けない」不溶性食物繊維である。さらに分類すると食物繊維にはさまざまな種類があり、多くはカタカナ名で表記される。例えば昆布やモズクといった海藻には、アルギン酸、カラギーナン、フコイダン、オクラの「ガラクタン」なども食物繊維だ。
岐阜大学での研究と疫学調査
岐阜大学では高山市の協力のもと、1992年から16年間にわたる大規模な疫学調査を実施した。心血管疾患の既往歴がない2万9000人を対象としてさまざまな解析を行ったが、その中で注目されたのが「デンプン=炭水化物」の摂取量と寿命との関係である。
日本人男性に限定したデータではあるが、炭水化物の摂取量が多い人のほうが長寿に有利であるという結果が得られた、と説明。また、炭水化物の種類、「米・パン・麺」の違いが健康に与える影響を調査したところ、炭水化物の摂取源が「米」である人の方が、「パンや麺」を主食とする人に比べて心血管疾患のリスクが約2割低いことが明らかになった。米にはパンや麺と比べて食物繊維やビタミンB6が多く含まれていることが知られており、こうした栄養成分が心血管リスクに対して保護的に作用している可能性がある、と矢部氏。
研究ではさらに「食物繊維を食べた時、体内ではどのような変化が起こっているのか」という根本的な問いに対して、実験的なアプローチで研究を進めているという。たとえば、ネズミを用いた実験では、水溶性食物繊維であるペクチンを与えた群と与えていない群とで、小腸の構造がどう変化するかを比較した。すると、小腸の「絨毛(じゅうもう)」の表面構造が、ペクチンを与えた群では絨毛の形や長さが明らかに異なっていたことが確認できた、と報告。
絨毛の成長と高齢者の栄養吸収
絨毛が伸びるという現象は、基本的には「栄養を吸収する表面積が増える」ということを意味する。小腸の絨毛は、最下層で新しい細胞が生まれ、時間とともに上へ上へと押し上げられ、最上部に達すると細胞が剥がれ落ちていく。このサイクルは約3〜5日で完了する。つまり小腸の絨毛を構成する細胞は、人体の中でもっとも寿命が短い細胞群の一つであり、極めて過酷な環境で働いている、と説明。加齢とともに食欲が減退し、食事量が少なくなるという傾向があり、これにより慢性的な低栄養状態が引き起こされる。さらに、筋肉量の低下も同時に進行するため「サルコペニア」と呼ばれる状態へと移行しやすくなることが課題だ。もし食事量が減っても、小腸の絨毛が長くなることで吸収効率が上がれば、栄養不足を補える可能性があるのではないか。つまり、矢部氏らは、栄養吸収の効率化によって、サルコペニアやフレイルへの進行を防ぐことができるのではないかという仮説を立てたという。
柚子ペクチンの効果と実験データ
そこで岐阜県産の柚子に含まれるペクチンを使って、食物繊維の機能についての研究を行った。この研究では、栄養不足状態マウスモデルを用い、そうした状態のマウスに柚子由来のペクチンを摂取させたところ、肝臓への脂肪蓄積が抑制されるという現象が確認された、と報告。これは、栄養がうまく吸収されていないときに起こりがちな脂質代謝異常が、柚子ペクチンによって緩和されている可能性を示している。つまり、柚子由来のペクチンには、栄養吸収の効率を改善する機能があると考えられる。さらに、ペクチンの種類によって機能に違いがあるのではないかという仮説を立てシトラスペクチン(柑橘類由来)とアップルペクチン(りんご由来)を比較する実験を行った。この研究では、人工的に大腸炎を発症させたマウスを用い、異なる種類のペクチンを摂取させた。その結果、特にオレンジペクチンを摂取したマウスでは、体重減少が抑えられ、食欲の低下も最小限にとどまった。ここから見えてくるのは、ペクチンという食物繊維が一括りにできないほど多様な機能を持ち、その効果が由来する植物の種類によって異なる可能性が高いということだ、と矢部氏。
腸内細菌との関係と食物繊維の意義
我々が食物繊維を摂取すると、まず小腸に到達し、消化酵素によって分解されることなくそのまま大腸に到達する。そこで重要になるのが大腸に生息する腸内細菌だ。年齢とともに腸内細菌の構成は変化するが、これらの細菌にとって生きるために不可欠なのが「餌」である食物繊維そのものである。我々が食物繊維を摂取しない限り、腸内細菌は生きられない。つまり、我々が自分の健康を維持するために腸内環境を整えようとするのであれば、食物繊維の摂取は不可欠だということになる。この「消化されない」という性質こそが、食物繊維の持つ最大の特徴であり価値であろう。つまり、食物繊維は「我々のため」ではなく「腸内細菌のために食べる」という新しい視点が必要だ。現在、世界中の研究者が最も注目しているのは、腸内細菌が食物繊維を発酵分解することによって生成される短鎖脂肪酸という物質である。この短鎖脂肪酸は、大腸から吸収されて血中に入り、全身の代謝や免疫、さらには脳機能にまで影響を与えることも明らかになってきている。 食物繊維は直接的な栄養素ではないが、腸内細菌を介して間接的に我々の健康を支える極めて重要な存在である。矢部氏らの研究チームでは、現在の“主流”とされる腸内細菌と食物繊維の研究に加え、まだ明らかにされていない機能や構造、作用機序の解明にも取り組んでいる。今後も、地味ではあるが確実に生活に影響を及ぼす研究成果を積み重ねていきたい、とまとめた。